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文章が多くてすみません。今後もいろいろ書き足していく予定です。

CONTENTS
自分と釣り フライフィッシングとの出会い フライにはまった日々
キャッチアンドリリース 河川名の公表について 釣りと妻との間で

自分と釣り


僕が生まれたのは網走地方の佐呂間というところです。家の裏を佐呂間別川という川が流れていて、小さいときからそこで魚釣りやら、魚すくいをして遊びました。佐呂間別川は中流域まではウグイがメインの川で、いくつかの支流にはヤマメも棲んでいました。幼少の頃はもっぱらウグイつりに明け暮れていました。えさはミミズ、アオムシ、トンボ、クワガタの幼虫、川虫、と何でも使っていました。春先にはウグイが産卵のため川を真っ黒にするくらい大量に上がって来て(婚姻色のため腹が綺麗なオレンジ色になるのでアカハラと呼ばれてました)今で言う、トリプルフックの引っ掛け針でがんがん釣ったものです。中学生のとき札幌に引っ越しました。当時、やや離れたところに発寒川、学校のそばには新川が流れていました。どちらも綺麗な川でなく、クラスの仲間にも釣りをする人間がいなかったせいもありそれから釣りとは縁のない生活が続きました。東京での学生時代に海釣りを何度か経験しましたが、どっぷりはまるほどではありませんでした。再び釣りをはじめたのは仕事の関係で札幌に戻り、子供が生まれ彼らを近くの川に釣りに連れて行くことがあってからでした。近くの川とは鴨々川のことで、昭和50年代のことでした。釣具屋さんで初心者用のエサ釣りセットを買い、ミミズをつけて川を流すとウグイの小型のものが釣れました。それから豊平川で釣るようになり、ウグイや時々放流ヤマメも釣れました。このころは家族そろって岸壁でカレイを釣ったり、キャンプでルアーフィッシングをしたりして過ごしました。驚いたことがありました。家族で礼文島に行ったとき、名前も無いような小川で遊び半分エサ釣りをしていたとき、面白いように20センチ以上のアメマスが釣れたのです。河口から10メートルくらいの本当に小さな川で小さなポイントです。ヤマメ以外のマスは殆ど見たことが無かったのですごく感動しました。これがきっかけとなって渓流釣りに凝りはじめました。札幌近郊では、ラルマナイ、白井川、発寒川、真駒内川、尻別川。ちょっと遠出をして群別川、千代志別川、尻別川などをイクラやイタドリムシで釣っていました。それでもあまり大きな魚は釣ったことが無く、近場の川にはあまり大きな魚が居ないんだと思っていました。それでも一人で釣り場に行くと自然がとても心地よく、自分が少しでもリフレッシュ出来てるんだという実感がありました

フライフィッシングとの出会い

初めてフライフィッシングの釣り人を見たのが1992年の古平川。家族でドライブがてら釣りに行ったとき。そのころ僕は餌釣りやルアーフィッシングのことは知っていましたが、フライについてはまったく知りませんでした。不思議な緑色の釣り糸をまるでカウボーイが鞭を振るうがごとく釣り人が操るのを見て、一種のカルチャーショックを覚えました。それからの自分は「まず、この釣りを知ること」からはじめるべく、フライについて書かれている雑誌や、本を読み漁りました。そのうち「こりゃもうやるっきゃない」という気になり、初めて道具をそろえたのでした。冬のボーナスが出た12月の下旬、A漁具店でロッドとリール、ラインを買いました。ロッドはダイワファントムの#8、リールもファントム、ラインは確かスリーエムのオレンジ色をしたものだったと記憶しています。なぜ8番だったのか今は思い出せませんが、すごく嬉しくて嬉しくて(真冬だというのに・・・)毎日ロッドを振っていました。当時は知り合いにフライをやってる人も、知ってる人もなくこれは一人でマスターしなくてはと強く思いました。

 


フライにはまった日々


 

リーダーやティペットのこと、ノットのことなどある程度わかるようになってきた翌2月3日節分の日、天気は晴れていましたが寒風吹きすさぶ中、意を決して釣りに行くことに決めました。場所は洞爺湖。とにかく寒い日でした。釣り場がどこなのかもわからず湖に近いところに車をとめ、岩の上でロッドを振りつづけました。ガイドは凍るし、手はすぐにかじかんでくる。キャストもままならないので散々な釣りになりました。その後支笏湖にも何度か通いました。横殴りの雪が顔に吹き付ける虹鱒橋下。例のごとくガイドは凍る、手はしばれる、フライはフォルスキャストの段階でもう後ろの木の枝に引っかかっている。鼻水か半べそかわかんない状態。葉そのうち春がきて千歳川にも数回。結局一匹も釣れない、勿論アタリすらないつりが10回続きました。フライってこんなに釣れない釣りなんだと半ば投げやりで行った4月28日の千歳川、天気はよく晴れていてこの烏柵舞のポイントには誰もいません。いつものように#14くらいのカディスを流していると・・・バシャッというライズがあり、思わずロッドをあげると小さなヤマメがフライに食いついていた。このときの感動は筆舌に尽くしがたく今でもあのときのときめきを思い出します。それからは休みのたびに千歳川に通いました。メイフライのスーパーハッチも見ました。ライズの嵐も見ました。千歳川は本当に素晴らしい川です。水が綺麗ですし、水量も安定している。如何せん釣り人が多くてあまり大きいのは釣ったことがありません。そのうち支笏湖通いが始まりました。夏の朝、3時前におきて車で50分くらい、オコタンやら美笛に通いました。3時間ほど釣りをしてそれから仕事、という日もありました。支笏湖ではアメマスの35センチくらいのが最大サイズでそれ以上大きいのは釣ったことがありません。時折人間が飛び込んだかのようなライズがありますよね。あれに引かれていつかは釣ってやる!という気でずいぶん通いましたが、未だに釣れていません。フライをはじめて3年目の夏に旅行でトマムに行った時の朝、近くを流れるポロカトマム川という小さな川で釣りをしたとき、なんと35センチほどのニジが釣れました。それまでは尻別川で30センチというのが、自分のレコードでしたから、この時も異常に興奮しました。他に誰もいない釣り場で「やったー!やったー!」と叫びました。こう書いているといろんな思い出があります。「僕の釣り日記」というタイトルで日記をつけていますが(ワープロでですが)いつか皆さんにご紹介できればと思います。

 


最初の5年間くらい


 

最初の5年くらいはあっという間に過ぎました。休日は必ず釣り、夏の日が早く昇る頃は、支笏湖、札幌湖、豊平川などで早朝の釣り。とにかく寝ても釣り、さめてもつりの日々でした。釣りをはじめる前はゴルフにはまったときがありましたが、ちょっと似たところがあるような気もします。クラブをロッドに変えてからも、翌朝から釣りだと言うとわくわくしてなかなか寝付かれなかったこともままありました。その間道東では徳志別川、オシラネップ川、津別川、道央では音別川、道北では名寄川など機会があれば釣り歩きました。然別湖のオショロコマ釣りも2年間チャレンジしましたが、この釣りは殆どフライでは太刀打ちできませんでした。(腕が未熟なのかもしれませんね)
驚いたのは12月の千歳川。いつものようにロッドが振れたらいいやぐらいの感じで、烏柵舞のポイントにいってみるとなにやら魚がジャンプしているではありませんか。ウグイ?よく見るとシャケのようです。勿論、河川のシャケ釣りが禁止されているのは百も承知でしたが、どうしてもシャケの感触を味わってみたかったのです。この年はシャケがかなり多く遡上してきてインデアン水車を閉鎖した後もシャケがかなり上ったそうで、12月上旬という時期なのに居たのですね。さて、シャケなんてまったく頭にありませんでした。ひょっとして50センチくらいのブラウンが釣れたらなどと思い、7番のロッドは持っていました。しかしサーモンフライは僕のフライボックスには無い。兎に角自分のフライボックスの中で一番大きいフライを、ということで支笏湖用にと巻いてあったマツーカを結んでキャスト。かなり粘っても反応がないのでそろそろ切り上げようと思った頃、リトリーブしてるラインにグッと根掛かりのような感じ。引っ掛けたかなと思い、ロッドを大きくあおってみるとなにやら先に動くものの感じが伝わってきた。もしかして・・・と思った瞬間、一気にラインが引きずり出された。なんだこりゃ!とあわてたら、リールが外れてポロリと川の中に落ちた。この大事なときに何なんだ。大急ぎで(冷たい水にシャツが濡れることも忘れ)リールを拾い、セットし直して巻いてみた。(誰かがこの様を見ていたら、あいつ何不思議なことやってんだの世界です。間違いなく笑えます) ラッキー!ラインの先にまだ魚はついていたのです。やるぞーとリールを巻き始めたそのときジャンプ一発!シャケが空を舞った。ロッドは一瞬にして軽くなり、マツーカの針先にはシャケの口の薄い皮がかすかについていた。
シャケには興奮しました。この後2年間、悪いこととは知りつつも、あの鵜柵舞での感触を味わいたくて、千歳川の根志越や、古平川でシャケにチャレンジしていました。幸い?千歳川では一匹も釣れませんでしたが、古平川では何匹かキャッチすることが出来ました。勿論リリースするのですが、監視の車が見まわりに来たり、いい気分ではありませんでした。そのうち虫類川他次々とシャケをおおっぴらに釣れる川が出来、僕の本格的な?シャケへの挑戦が始まったのです。最初に行ったのは日高の元浦川、ところが大雨の翌日で濁りがすごくきつく、それでも何とか一匹掛けたのですが、途中でバラシてしまって魚の顔を見ることは出来ませんでした。

 


次の5年間くらい


 

4年前から浜益川で釣ってます。ここはあまりフライ向きのポイントが多くありませんが、魚は沢山上がるようです。詳しくはこのHPの釣り日記などをご覧下さい。さて、シャケの話はこのくらいにして、これまでずっとドライ一本の釣りでしたが、僕の釣りにも変化があらわれてきました。ニンフやらウエットを使い始めるようになったのです。ドライではサイズ的に大きいのが釣れないような気になっていました。しかし、今まで#8やら#10のフックに巻いたどでかいエルクヘアカディスに頼りきりだった自分に、水面下の釣りが出来るのでしょうか?
草木が色づく4月から5月にかけては、気分的にはすっかりやる気満々なのですがさほどの釣果をあげていませんでした。これはニンフもやらねばあかんなということで、一所懸命ヘアズイアやらフェザントテイルを巻き、尻別川に出かけていきました。今まで見えるフライで釣っていたせいか、何か目印が無ければ不安なのでマーカーを付け、釣ることにしました。しかし、フライが重いせいか、マーカーも一緒に沈んでしまうのです。まあいいか、ということでしばらく流していると沈んだマーカーの動きに変化がありました。一瞬止まって逆方向に動く・・そんな感じでしょうか。合わせてみると、確かに魚の手ごたえ、30センチくらいのニジマスが釣れたのでした。その後春先の美笛川でもニンフでブラウンを釣ることが出来ました。しかし、季節が変わり夏になるとどうもドライ以外のフライを使わなくなります。やっぱりあの、水面を割って魚が出てくるのがたまらないのです。沈むフライはどうしても魚の顔を拝みたいからやむなく使っているというのが本音といえば本音です。

 


ここ2年間


 

おととしあたりから、ウエットフライに興味を持ち、沢田さんの本を読んだりその他ウエットについて書かれている文章は一通り読んだつもりですが、このフライ今ひとつ理解できないところがあります。本によるとアップストリームにキャストしてアタリが取れるような感じですが今まで、アップで(自分の立つ位置より上流で)フッキングしたことはありません。いつもダウンでしか釣れません。アップでフッキングした感覚ってどんな感じになるのでしょうか?シーズンインとか季節の終わりには「勉強だ!」と思ってウエットで釣っていますが極めるのは、10年くらい先になりそうです。
ドライフライは相変わらずエルクヘアカディスばっかり使っています。年とともに視力がだんだん衰えてきて小さなフライはよく見えなくなってきました。#10のエルクにがんがんドライシェイクをまぶし、絶対見失わないぞという感じで釣ってます。北海道以外で釣りをしたことは無いのですが、こと北海道の川に関して言えばこのフライがあれば何とかなるという気がします。
ここ2年間でいえば尻別、喜茂別、白井、ラルマナイと活動範囲が極端に狭くなってきました。諸事情があるのですが、結構体にくるというのが本音です。特に帰りの車の中や、戻って寝転んでいるときにひどく「足がつる」のです。魚を釣るならまだしも足がつるなんて冗談にもなりませんね。おおよそ原因はわかっているのですが、釣り同様、やめられないものもありますよね。

 


キャッチアンドリリースについて


幼少のころも含め、餌釣りをしているころは、釣った魚は持って帰るのがあたりまえと思っていました。(ウグイを除いて)フライをやり始めたころ、いろんな雑誌などでこの釣りはとった魚を逃がすのが基本的なルールだと知りました。それ以降は殆どリリースに徹しています。一度妻からヤマメを持って帰ってきてといわれ、棒切れでヤマメを殺して持ち帰りましたが、後味の悪さが残り、もう持ち帰るのはよそうと決めました。だからといってすべての釣りをする人にキャッチアンドリリースを強制する気はまったくありません。釣った魚を食べるのはどこの国でも当たり前の事として行われています。さすがに今の日本、特に北海道では河川での漁で生計を立てている人はごく少ないと思います。河川での釣りの目的は殆どが「遊魚」だと思われます。この「遊魚」を継続していきたいと思うのなら、資源を保護するという考え方も出来るはずですよね。食べるには小さすぎるヤマメや他の魚たちは「大きくなったら釣れてくれよ」と言って逃がしてあげても良いのではないでしょうか。

 


河川名の公表について


 

よく、河川名を公表したら、釣り人が殺到してさっぱりつれなくなるという話を聞きます。ゴミも散らかるし、餌つりの人が根こそぎ釣った魚を持ってかえるから、絶対公表しないという人もいます。でもそうでしょうか。魚釣りは一部の限られた人間だけの遊びではないはず。たとえば、子供と一緒に釣りに行ってその子が魚を釣ることが出来たら、たぶん一生の思い出になることでしょう・・。だから、子供と釣りに行きたいなどという話をきくと、すぐ釣れる川、ポイントなどを教えてしまいます。要は釣り人一人一人の川と魚への思いやりだと思うのです。親は資源保護と釣り人のマナーを子供にしっかり教えてあげればよいのです。その辺がきちんとなされていればそんなに簡単に川は荒れないと思うのですが。・・・甘い?

 


釣りと妻との間で


家庭持ちの釣り人なら誰もが心悩ませる、趣味と家庭サービスの両立の問題。皆さんはどうクリアしているのでしょう。その点学生さんとか、独り身の方とかは実にうらやましい限りです。趣味にどっぷり没頭できる環境など自分にとっては夢のまた夢。僕が渓流釣りを始めた頃、今となっては想像も付きませんが、何度か妻がおにぎりを作って持たせてくれました。朝早くから夕方過ぎまで釣っていてもあまり文句もなかったように記憶しています。問題はフライにはまってからです。休みの日は必ず釣り。仕事の都合上、土日の休日が取れません。子供達が休みの日は僕は仕事で、平日の休みは釣りばかり。「私は釣り後家よ」と妻は、よく言っていました。それでも別れることなく今に至るには、結構大変な思いがあるのです。子供達が小さかった頃は、夏休みには僕も休みをとって必ず、キャンプも兼ねた道内旅行をしました。(たいてい近くに釣り場がある所を選んで)冬休みにも毎年、スキーに連れていきました。こんなのは当たり前ですよね。でも、釣りの出来ない冬場は妻のご機嫌取りに徹するのです。ホームセンターに行きたいと妻が言えば「ハイハイ、ホームセンターでございますね」とお抱え運転手。妻は働いているので僕が休みの日には送り迎えをし、お茶が欲しいと言えば「ハイハイお茶でございますね」肩がこったと言えば「揉ませていただきますハイ」と言った具合で、しっかりご機嫌取り男に変身するのでございます。勿論、冬に限ったことではございませんが・・ハイ。   

 

 


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